
掛時計は広めの空間が必要になるので、小振りな置き時計を集めた時期がありました。その頃の時計には「〜記念」と書かれていることが多いのです。この時計にも「小諸銀行」と入っています。小諸銀行は不況の中、昭和3年に多くの銀行と合併し県下最大の「信濃銀行」となりましたが3年ほどで整理されてしまいました。昭和初期の金融不況の深刻さを物語っています。昭和初期の精工舎カタログにこの時計が載っていますので、解散記念だったのではと推測できます。この裏書が無ければ、長野県の銀行の歴史を調べることも無かったとは思いますが、ただ数多の置き時計の中からこの山羊のものを選んだ理由はなんでしょう。