2023年01月27日

またまた鉄道時計

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国産鉄道時計が製造可能になる前は外国の堤時計が代用されました。量産体制をひいたアメリカ製の堤時計が世界一の評価を得ていましたし、生産年代がわかるナンバーも彫刻されています。最も使用されたのがウォルサムですが、鉄道時計の初期はグレードの低い7石の模様も無いシンプルな機械が入っていました。この堤時計も1918年製ですから105年前に作られたことになります。それでも全員に配られることは無かったでしょうし、上位の職制者は石数の多い高グレードの時計を手に入れていたようです。見栄と時計は付いて回る話題でした。時計と靴を見れば生活水準がわかるという戯言が取り上げられることもありました。昔仕様の縮小した時計市場ではそうした冗談も懐かしいものになってしまいました。
posted by 代表 at 18:34| 時計の話

2023年01月25日

寒波襲来

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最強寒波襲来ということで静かな「昭和の時計」展示会場風景です。就職で静岡から諏訪に移り住んだのですが、隣の県だというのにあまりの寒さに驚愕したものです。-23℃というのも経験しました。ダイヤモンドダストも通勤途中で見ることがありました。それに比べれば本日は-10℃ですからまだまだです。今は寒さより恐ろしいのは電気料金ということになります。半纏やちゃんちゃんそれにコタツとは縁が切れていましたが見直すことにします。
posted by 代表 at 18:36| 日常

2023年01月08日

昭和の時計

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新たなイベントを企画中です。今回は展示場所も広く、見てもらうのに無料ではないので準備も少々時間がかかります。私が社会人になる前までの期間を取り上げるので、一方的な思い込みでしかないのですが、なぜか当時のモノ作りがシンプルに人を集めることが第一義であったであろうことが羨ましくもあるのです。目指すべき製品の姿が明確であったことがありますので、それぞれの現場が熱気と一体感があったことを最後の昭和的なモノ作りを体感した世代としては懐かしくもあるのですが、この先へのヒントが隠されている気がしています。

posted by 代表 at 18:40| 時計の話

2023年01月04日

戦後生まれ

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団塊の世代にはちょっと外れますが、それでも私にとっては、ずっと戦後生まれという言葉が付いてまわりました。これからは少しは我慢すれば、どんどん生活は便利になっていくばかりだと思っていました。それは無駄な戦争などをもうしないからだと思っていました。確かに様々なことで便利にはなりました。一家に何台もの車が有ります。そして戦後はずっと続くと思っていましたが、ここにきてなにやらきな臭さが漂ってきています。新たな戦前に向かっているという話も見過ごせることではなくなりました。経験からしか学ばないのは愚者であったとしても戦争の具体的経験がない人ばかりになってしまったのであればそうなる危険性は十分にあることなのかもしれない。思い起こせば私にとっての戦後の言葉の象徴は皆で食べる給食です。
posted by 代表 at 16:35| 歴史