2023年02月26日

不可思議

戦時セイコーポスター.jpg
古い紙の資料はなかなか残らないので、見つけることが難しいです。国威発揚的なものでなくても戦争中のものがあればと思うのですが、出会うことはほとんどありません。そうしたポスターは戦後すぐに廃棄するようお達しがあったようなので致し方ありません。そういえば、お役人の世界ではちょっとやばそうな資料は廃棄しましたという言い訳が通用してしまうのが不思議です。個人事業の領収書は7年間の保存が義務付けられているのにです。
posted by 代表 at 18:16| 時計の話

2023年02月07日

今は昔

フレッシュマンセール.jpg
腕時計の大事な商機は新学期とクリスマスと決まっていました。それに合わせて仕事のサイクルが回っていました。その準備ができるメーカー、ブランドが生き延びることができました。そうした実情から日本ではその生産数量をわずか5社に満たないメーカーで賄った世界でも珍しい市場だったわけです。腕時計の市場の大きな山が無くなったことで、実は小さなブランドがいくつも立ち上がってきました。ネット社会がそれを後押ししています。スマホほど目立ちませんが、水面下といって良いのかわかりませんがかなり熱い戦いが行われています。
posted by 代表 at 19:03| 時計の話

2023年01月27日

またまた鉄道時計

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国産鉄道時計が製造可能になる前は外国の堤時計が代用されました。量産体制をひいたアメリカ製の堤時計が世界一の評価を得ていましたし、生産年代がわかるナンバーも彫刻されています。最も使用されたのがウォルサムですが、鉄道時計の初期はグレードの低い7石の模様も無いシンプルな機械が入っていました。この堤時計も1918年製ですから105年前に作られたことになります。それでも全員に配られることは無かったでしょうし、上位の職制者は石数の多い高グレードの時計を手に入れていたようです。見栄と時計は付いて回る話題でした。時計と靴を見れば生活水準がわかるという戯言が取り上げられることもありました。昔仕様の縮小した時計市場ではそうした冗談も懐かしいものになってしまいました。
posted by 代表 at 18:34| 時計の話

2023年01月08日

昭和の時計

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新たなイベントを企画中です。今回は展示場所も広く、見てもらうのに無料ではないので準備も少々時間がかかります。私が社会人になる前までの期間を取り上げるので、一方的な思い込みでしかないのですが、なぜか当時のモノ作りがシンプルに人を集めることが第一義であったであろうことが羨ましくもあるのです。目指すべき製品の姿が明確であったことがありますので、それぞれの現場が熱気と一体感があったことを最後の昭和的なモノ作りを体感した世代としては懐かしくもあるのですが、この先へのヒントが隠されている気がしています。

posted by 代表 at 18:40| 時計の話

2022年12月27日

金持ち喧嘩せず?

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仕事がら古い時計にサンプル以上の興味が湧いてきた頃、時間があれば古そうな時計屋さんや、古道具屋さんを覗いて廻ったものでした。そうした店も少なくなってしまい、今はネット上で探すことも多くなりました。便利になったとはいえ基本は高値を付けた人が手に入れるシステムなので、財力に不安がある私は最後にはあきらめムードに包まれることになります。探し物も簡単に検索できますので、見つける楽しみもぐっと減りました。目に見える店舗は本当に少なくなりましたが、昔では考えられないほどに見えない取引が行われていることは確かです。そのうち、ここに税金の罠が掛かってくることでしょう。
posted by 代表 at 17:34| 時計の話

2022年12月12日

識別能力

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昨今の音楽、芸能の話題についていけない理由は、みんな似ていて誰が誰なのか見分けがつかないからと私も思いますが、記憶力の衰えを否定しませんが早い話、興味が湧かないことは記憶に残らないということなのでしょう。時計をみれば、どの国のなんという会社のどの時代のもので、特徴は……と余分なことまでしゃべって煙たがられたりしますが、他の人からみればみんな一緒の物にしか見えないのだろうと思います。オタクと言われるのは厭ですが、極めれば少しは世のため人にためになることもきっとあるような気がします。それでも最近のスマートウォッチや、高額品腕時計は全く分からなくなっているのが実情です。
posted by 代表 at 12:36| 時計の話

2022年12月11日

諏訪育ち

諏訪育ち.jpg
諏訪を描く展が今年もありました。私が諏訪に来た頃は、とにかく人の手を集めてモノ作りをする時代でした。当時の工場の活気と喧騒の最後を肌で感じていた世代として描いたイラストです。駅から人が連なる企業城下町そのものでしたが、あらゆる面での形態変化がありそうした姿も見られなくなりました。わかりやすい時計の町であった姿を探すことも難しくなりました。懐かしむというよりは当時の姿に、これからのモノ作りのヒントが隠されているような気がしています。
posted by 代表 at 13:51| 時計の話

2022年12月02日

手のひら

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鉄道時計を熱意に押され人に譲りました。普段の生活にあまり使用する場面もなさそうですが、不思議な魅力があることは確かです。100年近くほとんど変わらぬ姿で作り続けられている唯一の製品であることは間違いありません。鉄道という産業には関係者でなくても必ず忘れがたい思い出がきっとあると思います。私も中学生の多感な時期を電車通学に多くの時間を費やしました。今はスマホを見ることに忙しそうな人が多いですが、当時はいつもの窓からの景色に飽きるということはありませんでした。そうした記憶を鉄道時計は思い起こさせるのかもしれません。思い出と繋がるような商品は新製品を生み出すほどの需要を生み出せないのですが、そのことがいつまでも大切にしてもらえることにつながっている気がします。手のひらにちょうど乗るサイズも絶妙です。
posted by 代表 at 14:01| 時計の話

2022年11月10日

インスパイア?

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工業製品のデザインのオリジナルを辿ることは難しいものです。微妙なバランスの違いで人の意見は分かれてしまいます。意匠の権利を登録したり、争いの是非は最終的には担当者役人の判断に委ねられることになります。たぶんこうした判断もそのうちAIが担当することになるのでしょう。古い雑誌などで、これを参考にしたのではないかなと似た商品を見つけたりするとちょっと「ニヤニヤ」してしまいます。このモデルも最近国内で復刻された著名モデルの大元だと推測しますが、50年以上昔のことですので問題は無いでしょう。ですがいつの頃からかこうした事例にあたって、「インスパイアされた」という英語で胡麻化されてしまうことがあるのは不満です。
posted by 代表 at 17:10| 時計の話

2022年10月16日

修理したい

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古い時計でもガラスを換えるだけで、ぐっと見映えがします。スッキリ文字盤が見えることは気分もスッキリします。それに古い時計ほど自分でできることが多いのです。やっかいなことに時代とともに素人の手には負えなくなってきます。それは買手側の様々な要求に応えてきた結果ですので仕方のないところです。例えば防水性や強度などです。それでも細かなことに気を使って、多少の不便も気にしなければ自分で直せる楽しみをもっと残せたのにと思います。不具合が出たときに「便利は不便」と思うことは身勝手な言い分ですか?
posted by 代表 at 14:17| 時計の話

2022年08月26日

裏書

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掛時計は広めの空間が必要になるので、小振りな置き時計を集めた時期がありました。その頃の時計には「〜記念」と書かれていることが多いのです。この時計にも「小諸銀行」と入っています。小諸銀行は不況の中、昭和3年に多くの銀行と合併し県下最大の「信濃銀行」となりましたが3年ほどで整理されてしまいました。昭和初期の金融不況の深刻さを物語っています。昭和初期の精工舎カタログにこの時計が載っていますので、解散記念だったのではと推測できます。この裏書が無ければ、長野県の銀行の歴史を調べることも無かったとは思いますが、ただ数多の置き時計の中からこの山羊のものを選んだ理由はなんでしょう。
posted by 代表 at 17:34| 時計の話

2022年05月25日

古いクオーツ腕時計

ブラインドウォッチ.jpg
クオーツ腕時計が世に出てから50年以上が経ちました。当時はその脅威の精度で機械式時計の終焉が唱えられました。現在は様々なところで提示される時刻はどれも正確に制御されているものです。ですから単純な電池だけで動いている昔ながらのクオーツ腕時計が、機械式などを除けば世の中で一番ずれているということになります。正確性の象徴であった秒針は、ズレを象徴するものになってしまいました。そのせいか最近は秒針の無いクオーツ腕時計をすることが多くなりました。だいたい時間が分かればと思えばほとんど時刻修正をすることもありません。
posted by 代表 at 13:08| 時計の話

2022年05月18日

手放し方は?

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腕時計は主に男性の趣味の対象であるせいだと思いますが、ちょっと古めの婦人用の腕時計はかわいそうなくらいの価格で手に入れることができます。仕事がら婦人用モデルに携わっていたことがありますので、見捨てられるのが惜しい気がしてつい手を伸ばしてしまいます。時代の経過とともに男女ではなく、仕事がらや、志向で商品が分けられるようになり、あまり小さな腕時計は作られなくなりました。新聞の文字のように読み難さが敬遠されてきたこともあるでしょうし、なにより「〜らしさ」を時計に求められなくなったということでしょう。それにしても、自分で身に着けない小さな時計たちを貯め込んでおくことはもったいないことなので、行く末を考えなくてはならないのが悩みです。
posted by 代表 at 12:25| 時計の話

2022年04月23日

名も無きもの

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時計を売るために、ブランドとは別に他の名称を付けて価格を変えて売り出すことは上等手段ですが、多くの人がまだ腕時計を欲しいと思っていた戦前では想像よりはるかに多くの別名称のモデルが売り出されました。西洋風なもの、和風なもの、有名メーカー風と脈絡なく存在しました。その全容は記録にも残っていないのではっきりしていません。そうして消えていったモデルを思えば人間社会のあらゆる消耗戦の怖さが想像できます。やはりかわいそうな生物の頂点は人間で間違いなさそうです。
posted by 代表 at 18:37| 時計の話

2022年04月09日

四半世紀

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半世紀近く前、中央線で2回ほど結構な山の中を通って初めて諏訪までやってきました。当時はあちこちに時計ブランドの看板が製造会社の屋根の上に掲げられていました。今はそんな風景も変わってしまい、時計の町らしい雰囲気は無くなってしまいました。まだまだそんな雰囲気が残っている中で、25年前に「時計科学館儀象堂」は立ち上がりました。紆余曲折を経ながらも時計工房として存続しています。ちょうど一世代が変わる時間が過ぎ、今後の舵取りが課題ですが、時計に惹かれてしまう心持を信じて記念モデルが作られます。
posted by 代表 at 18:16| 時計の話

2022年03月01日

生き残る

パープルホース.jpg
ムーブメントメーカーから第2次大戦後に満を持してブランドを立ち上げたメーカーです。日本では独自の外装要素の戦略と有力代理店の強力な宣伝投資で、輸入時計の高級ブランドと認知されました。クオーツ化の波の中でも独特なフォルムで健闘したのですが、老舗機械式メーカーの復興の波に埋もれてしまいました。ところが今はスイスの強力な時計グループにブランドは吸収され、新しい展開を見せています。スイスでは有力メーカーの多くが同様の紆余曲折を経ています。ブランドはそのままでも、経営は全く別会社だったりします。そうしたメーカーは老舗ぶりをアピールしてきます。そうした歴史が無いと生き残れないことも確かです。日本メーカーは高度成長期に歴史に興味を示さず、前ばかりをみていましたが最近は老舗ぶりをアピールしています。生き残りをかけている証左でしょうか?。
posted by 代表 at 19:14| 時計の話

2022年02月02日

省くこと

高振動.jpg
1960年代は機械式腕時計の精度競争の時代でした。本家スイス勢の威信をかけて高振動モデルが製品化されました。最先端の技術を特徴的とはいえ極シンプルなケースに収め、文字盤も光を抑えたマットなブルーに細めの針と時表示のスッキリした外観のこのモデルは飾り過ぎる高級感へのアンチテーゼの見本のようです。
posted by 代表 at 14:17| 時計の話

2021年12月22日

わかりやすさは大事

時計宣伝コピー.jpg
腕時計が趣味性の高いものと考えられるようになってから、購買層の顔が見えなくなり、なにやら複雑な機能がついたりして、一番肝心な見やすさ、軽さへの配慮が後退してしまいました。それに比べて高度成長期の50年前の宣伝コピーはモーレツ社員を鼓舞するものが多いのですが、現代では〇〇ハラスメントと指摘されることになるでしょうが、ストレートな表現が可能なわかりやすい時代でした。
posted by 代表 at 18:18| 時計の話

2021年08月30日

禍福

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私が生まれた頃の腕時計。日本初の手動ではありましたが月も表示するカレンダー。戦後の不況を抜け、一気に高度成長につながっていく幕開けの時代でした。こうした時に発売された華やかさを纏った国産時計でした。しかし戦後の日本を救ったのは、始まった朝鮮戦争だったことは間違いありません。今でもあちこちで無くならない紛争には同じような様相が垣間見えます。事の大小にかかわらず現代はいやでもいろんな情報が入ってきますし、意見を発信できるせいか考え方の相違があちこちで衝突するのを目や耳にします。そんな現状に少々疲れてしまいます。
posted by 代表 at 19:40| 時計の話

2021年08月07日

時計台

精工舎時計台.jpg
40年近くも前の写真。今は無き精工舎の時計台前での一枚。当時の建物は、時計博物館として整備されつつありました。しかし残念ながら20年ほど前に解体されてしまいました。いろいろな音に囲まれ過ぎた現在からすれば、街の象徴として時を告げる鐘の音がこだまする時代はゆったりと豊かな時間が流れていたと思います。それでもこの塔時計自体は下諏訪の今昔館「おいでや」に移されて今も現役で時を刻んでいます。都会を離れて少しは昔の音を響かせることを時計台は喜んでいる気がします。
posted by 代表 at 13:29| 時計の話