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四方凸(山)話
信州諏訪は四方を山で囲まれて、日本のほぼ真ん中に位置しています。
小さな事務所から文字そのままの四方山話を綴った方丈記ブログです。
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2012年10月06日
モテ期
腕時計のモテ期はアメリカのブランドが元気だった第二次大戦前後であることは間違いないと思います。名前だけは今も残っているものがありますが、全く違う世界観の中でつくられていました。そんな時代があった事はもう忘れられてしまっています。アメリカの富を見せつけてはいましたが、それでも今のように腕から飛び出すような大げさなものはありません。身に付けるものであること、服装を挽きたてることに徹しています。
posted by 代表 at 17:23|
時計の話
2012年07月31日
それ要りますか?
知人が起こしている時計ブランドの新モデルです。もう十年も売り続けているモデルなのですが、他の商品とは違って、どんどん機能が取り除かれてシンプルになっていきます。価格を下げる為ではなくてお客様の声を反映しているだけなのだそうです。最近の電気製品を使いきれていない私としては他の商品にも見習ってほしいものだと思います。さて、この先は秒針を取ることになりますがいつになるでしょう?
posted by 代表 at 10:37|
時計の話
2012年03月29日
指輪時計
良くできた金無垢の指輪時計です。実用というよりは宝飾品としてですが、腕時計は女性用の方が100年ほど早かったということです。男性は提げ時計が主流で、腕にすることは敬遠されていたのですが、戦争で必要に迫られてするようになりました。その生まれた由来から女性用は宝飾性が求められたのですが、今やこうした時計をしてもらえるターゲットが想像できないというのが正直なところです。遊びの部分が無くなってきた商品はお客さんの興味を引くことが少なくなってきたことの証でしょうか。
posted by 代表 at 18:41|
時計の話
2012年03月25日
名前
こんな時計も見かけなくなりました。携帯用目覚ましなのですが、いままで使っている人を見かけたのは病院ぐらいでしょうか。商品名は「TRIP MATE」ズバリの名前なのですが、ちょっと今だったらあぶない感じもします。商品名は時代や地域で受け取り方が違うので注意が必要です。薬に多いダジャレっぽいものには、わかれば良いってものじゃないだろうとつっこみを入れたくなります。
posted by 代表 at 16:44|
時計の話
2012年03月13日
100年経過
明治44年の通販の先駆けといえるPR雑誌「三越タイムス」の付録にあった提時計一覧表。アメリカ製、スイス製といった中に精工舎の「エンパイヤ」も入っています。当時はアメリカ製が高級品ということで、特にウォルサムが人気があったようです。アメリカ製は機械にしるされた番号で製造年がわかりますので、このウォルサムも100年過ぎています。100年以上前の製品が洗浄、注油で、普通に使えます。こんな工業製品は時計以外にみあたりません。、今は確かな時間で周りが回っているから余裕で言える事だとわかっていますが、最近は一分一秒を争う生活などしていないこともあってこれでも十分だよという気がしてきます。
posted by 代表 at 17:03|
時計の話
2012年03月07日
貝殻を時計に
津波で被害を受けた石巻市雄勝湾の帆立貝と牡蠣の殻を円板状に削り出し、文字板とリューズに埋め込んで時計にしました。雄勝町の漁師さんたちの起こした合弁会社「オーガッツ」支援策として、売上の一部を寄付することで50本限定で商品化されました。3と11を際立たせることに不安がどうしてもありますが、長く支援することが大事なことと思います。
posted by 代表 at 12:53|
時計の話
2012年01月20日
物産時計
明治20年代に三井物産が取り扱っていた提げ時計です。他に比べて廉価であった為に物産時計という名で有名になったということです。アメリカのウォーターベリーウォッチ製で独特の機構を持っています。120年以上前のものですが、その半分を平凡に生きてきてしまった私としては、120年の前半分と後半のものすごい違いに愕然としてしまいます。戦争を自己体験しない平和な時代に感謝していますが、この先の不安定な見通しには新たな心構えの必要性を感じてしまいます。
posted by 代表 at 17:13|
時計の話
2011年12月22日
お座敷時計
ちょっと前まではどこの家にも柱時計があったのですが、今では考えられないくらい、いろんな種類がありました。ちょっと小振りで、少し手がこんでいるタイプは「お座敷時計」といわれていました。「お座敷」という名前も今や死語かもしれませんが、同様にこうした時計も無くなってしまいました。時計で貧富の差が判断できなくなった時代ですが、そのぶん皆の時計にたいするありがたみの感覚が薄れてしまったということなのでしょう。
posted by 代表 at 18:05|
時計の話
2011年12月12日
なんとも言えぬ味
目覚時計など全く必要としない生活をしています。朝早く目が覚めてしまうという身体的理由が大きいのですが‥。そのくせ目覚時計はたくさんあります。断捨離とは無縁のすっきりしない身のまわり状態です。それでも少し整理しようかなと思ったのですが、一つ一つをじっくりみているとますます片づけられなくなってしまいました。この本体がマッチ箱並みの高さのドイツ製目覚ましもなんとも言えぬ味がありますが、なんともいえぬところを理解してもらえますでしょうか?
posted by 代表 at 16:14|
時計の話
2011年10月04日
時計屋さん
いろいろ相談したりする時計屋さんです。町の時計屋さんをいつしかほとんど見かけなくなりました。古い時計に興味をいだき始めた頃は店主が戦前の話をしてくれましたから、そうなることは当然の成り行きだったかもしれません。いくつもの店が閉まっていきました。時計を最初に買ってもらった時代の心踊る商品ではなくなってしまったことは仕方無いことですが、どんなものでも幸せな感覚を通り過ぎて物が溢れることはけして文化的に豊かではないと思うのです。
posted by 代表 at 14:45|
時計の話
2011年09月19日
年とともに分かること
昭和初期の時計です。日本の軍用とされる時計にも採用されている文字レイアウトです。文字板いっぱいのレイアウトですが、薄暗がりでも時間がわかりやすくできています。視認性については年とともに気になりだしました。これは自分がそうなってみないと実感できないものです。そこに私のような年代のデザイナーの存在意義も有るのだと強がってもみます。それにしてもこれ以外に何がいるのだという潔さが魅力です。
posted by 代表 at 10:54|
時計の話
2011年08月25日
小さな時計
最近は男性用、女性用問わず時計のサイズは昔に比べると、とても大きくなっていますし、あまり性別にこだわらなくなっていますが、昔は全く別のものでした。女性用は本当に小さく、腕につけるのも小さな留具で一人で付けるのも大変でした。かわいらしさがポイントでも有りましたが今ではそうした時計を見かけなくなりました。実用さには欠けますが、小さな洒落た時計をさりげなくしている人を見かけると私のわがままだということも十分わかっているつもりですがホッとしてしまいます。
posted by 代表 at 17:22|
時計の話
2011年08月08日
雄勝石
今回の大震災でまだ知らないことがいっぱいあるんだと思い知らされました。石巻市にある雄勝町の石もそうです。東京駅復元のために用意されたスレート材も被災しまいました。ボランティアの手で泥の中から一枚づつ掘り出され、海外品に代替されそうになったことが覆されたそうです。硯として有名なこの石を文字板に使用し、復興の手助けとなるように製作した時計が上がってきました。売上の一部が、雄勝町の重要無形民族文化財の「雄勝法印神楽」の太鼓、衣装の復興の為に使われます。少しでもお役にたてればと願っています。
posted by 代表 at 17:37|
時計の話
2011年07月22日
巡回時計
昔、工場とか学校で警備の人が肩から提げていました。建物を巡回しながら、決められた場所にある番号のカギを下の穴からいれて回すと、内部の記録用紙にガチャと数字が刻印され、いつ巡回したかが記録される機構の時計です。革製の入れ物に収められて、仕事感をいっぱい醸し出していました。こうした時計も使われなくなりましたが、警備のおじさん達とも何気ない話をするといった雰囲気も一緒に無くなってしまいました。
posted by 代表 at 14:00|
時計の話
2011年06月29日
龍水社の掛時計
リズム時計の前身である「農村時計製作所」内に有った「農村時計技術講習所」は農村の子弟を集め、戦後の復興に時計産業を全国に起こす目的で造られました。しかし戦後の混乱期の中で、この南信州の龍水社での時計が唯一卒業生によって製造されました。そうした意味ではとても意味のある掛時計ですし、信州人の器用さと意思の強さを感じます。その後昭和48年にリズム時計に併合されています。
posted by 代表 at 17:54|
時計の話
2011年06月01日
一世代
30年前に出された本です。すごい題ですが、ほとんどの人がそう認識していたと思います。日本の時計産業がスイスに代わって世界に君臨すると。時を知るという行為や媒体が大きく変化したので、簡単に比較できませんが、今は間違いなく高価格品でのスイスの勢いは圧倒的です。誰も想像できなかったことです。20〜30年で、流行はサイクルしていると言われますが、世の中は長い目で見ないと本当の変化がわからないことがあります。自然エネルギーの利用技術も劇的に変わってくるものと思っています。
posted by 代表 at 12:04|
時計の話
2011年03月22日
ミニクロック
安曇野市の時計屋さんが作っている小さな置き時計です。ちゃんと振り子がついています。今までと違ったバランスで物事を考え直すのは一つの発想法であることは間違いないことです。大げさな話になってしまいますが、今回の大きな災害には心が痛みますが、今までの生活で当たり前だと思っていることにかける時間とか、労力のバランスを本当に必要なことなのか考え直す機会にしたいと思うようになりました。
posted by 代表 at 18:43|
時計の話
2011年03月04日
デジタル置時計
ちょっと古いものシリーズが続きます。こんな顔をした時計がパタパタ時計といって新しい商品が洒落た雑貨屋さんに並んでいたりしますが、これはそうした薄い板状のパネルがパタパタめくれていくものではなくて、ドラムが回るタイプです。その為表示部がちょっと狭くなっています。その分当時としては未来的なイメージの商品が数多くでました。コンセントにさしておけば正確に動くこともあって重宝したものですが、機械式表示の単機能のため、液晶式にとって代わられてしまいました。
posted by 代表 at 19:09|
時計の話
2011年02月28日
電池式テンプ時計
音叉時計に触れたので、同じ電池駆動ですが、機械式のようにテンプで時間調整をする時計も紹介しておこうかと思います。機械式の腕時計は放置しておくと2日ぐらいで動かなくなってしまいますから、1年間も動き続けるというのは驚異的なことでした。でも精度や電池寿命で、音叉式、水晶式に遅れをとり消えて行きました。時計のハイブリッドと言える機構でしたが、今のハイブリッド車も一過性の気がしてしまうのは私だけでしょうか?30年以上前にセイコーのこのタイプの腕時計を三浦友和さんが宣伝していたのを懐かしく思い出します。
posted by 代表 at 17:29|
時計の話
2011年02月21日
音叉時計
ブローバの音叉時計「ACCUTRON」です。普段は使用しないのですが、電池を久々に入れてみました。耳を近づけるとブーンと音叉が振動する音が聞こえます。今は製造しているところは有りませんが、機械式と、水晶式との間で世の中をアッといわせたものでした。水晶式と違って特許で固めて、限られたメーカーでしかライセンス生産されなかったので、精度に優れた水晶式が出るとあっという間に忘れられた存在になってしまいました。物作りとタイミングの難しさをいつもこの時計を見ると思います。
posted by 代表 at 19:14|
時計の話
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