2021年08月07日

時計台

精工舎時計台.jpg
40年近くも前の写真。今は無き精工舎の時計台前での一枚。当時の建物は、時計博物館として整備されつつありました。しかし残念ながら20年ほど前に解体されてしまいました。いろいろな音に囲まれ過ぎた現在からすれば、街の象徴として時を告げる鐘の音がこだまする時代はゆったりと豊かな時間が流れていたと思います。それでもこの塔時計自体は下諏訪の今昔館「おいでや」に移されて今も現役で時を刻んでいます。都会を離れて少しは昔の音を響かせることを時計台は喜んでいる気がします。
posted by 代表 at 13:29| 時計の話

2021年07月30日

反転図形

ルビンの壷.jpg
有名な反転図形です。横顔か盃のどちらかに見えるのですが、錯覚とは違ってどちらの認識も間違いではありません。ただ両方を一緒に感知することは無く、行ったり来たりしてそれぞれを認知するので「あーなるほど。」となるのです。しかし昨今の巷の種々の話題に関してはどちらが正しいではなく、違いを認めず相手を攻撃して黙らせるのが正しいという間違った能力が評価される傾向があります。日本語の特徴もあって、うやむやに結論がなることが多いのですがこんなご時世では突然突拍子もないところに迷い込む危険をはらんでいるのではと危惧しています。
posted by 代表 at 18:35| 日常

2021年07月25日

一日花

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夏にかけて草も花も元気になります。私は齢とともに動き出すのが遅くなってきたおかげで庭の花にずっと眼がいくようになりました。何年も見てきたこのなにやらポタポタと花がそのまま落ちていく木の名前は「夏椿」だということも初めて知りました。名前さえ気に留めなかったのでこうした花を呼ぶ「一日花」という言葉を調べたのも初めてのことです。花の命は短いのはその通りだと思いますが、それでも毎年咲くのであればずっと羨ましいと思ってしまいます。アスリートでもアーティストでも一度でも一瞬でも咲く時期があれば素晴らしいことです。
posted by 代表 at 18:48| 日常

2021年07月08日

変ですか?

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今でも気が緩むと、「いただきました。」と言いそうになります。地元を離れるまで普通に使っていました。いつの間にか「ごちそうさま。」が正しいみたいに指摘されて、矯正されてしまっていました。でもやっぱり「いただきます。」「いただきました。」のセットがしっくりきます。食べ物をいただく、命をいただく、恩をいただく…。方言?は案外しぶとく残るものですが現状は厳しそうです。特別寂しいのは食というとても大事なことに関することだからです。
posted by 代表 at 17:15| 食べ物

2021年06月30日

急がば回れ

妻籠.jpg
中央アルプスの東と西の伊那谷と木曽谷にを結ぶ5km近い権兵衛トンネルがあります。江戸時代に木曽谷へ米を運ぶ道を整備した古畑権兵衛の名に由来するそうです。車で通ってもその規模と長さに圧倒されます。難工事でしたが、いまは重要な施設になっています。やはりその有難さを視覚的に実感できることが重要です。この中央アルプスを5倍以上長くずっと深いところをリニア新幹線が計画実行されているのですが、ほとんど外の見えない列車で、その有難さは実感できないものでしょう。山の近くに住んでいると不便なことはありますが、神々しさも感ずるものであり、大きな穴を開けることは不遜な気にもなります。6年以上後の世界を正確には予想できませんが、東京名古屋をそんなに急いでどうしたかったのということになるのではないかと想像してしまいます。
posted by 代表 at 19:14| 日常

2021年06月18日

公式時計

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1964年のオリンピックでは、セイコーが公式時計として採用され、大きな発展をする機会になりました。当時発売された時計には記念のマークが入っていました。今回の東京オリンピックの公式時計はオメガということで大会前からの決定事項ではありました。少々残念なことだと思っていましたが、現在の状況を見れば幸いだったかもしれません。実際の困惑状況は分かりませんが、公式時計メーカーとなっていたら想像以上に大変なことになっていたかもしれません。それにしても公式時計の扱いにしても、なにやらヨーロッパ中心のIOCの思惑の傲慢さを感じてしまいます。
posted by 代表 at 17:56| 時計の話

2021年06月11日

少し前のあたり前

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子供の頃、水で浸した布を貼った長い板をたまに見かけたものです。浴衣の縫い糸を解いて伸ばして別のサイズに仕立て直すのか、別のものに作り直すのかはわからなかったのですが、浴衣などの最後の行き先は赤ちゃんのオシメを経て雑巾だったそうです。そうした物の流れが無駄なくできていた社会を見直すことが必要になっています。作ったものの行先も考慮に入れて計画しなければならない時代です。浴衣を解いたのをみて、そんなに難しいことではなく少し前に戻ればヒントはいくつもあると思います。今回は浴衣をばらして、暖簾にしてもらいました。
posted by 代表 at 13:12| 日常

2021年06月08日

これでも新作

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機能は時分のみ、小さな秒針は動いてますの確認用。太陽電池式でも電波式でもなく、ましては機械式でもありません。何でもないクオーツ式でその割にはちょっと厚めの腕時計です。周りの人に助けられての自前時計の第2段ですが、本体はダイヤル表現のみの変更です。それでもベルト大きな部分を占めますので、合わせて新色にしました。文字はアラビア数字でもなくローマ数字でもないそろばんのコマのように積み重ねていく記号みたいものです。人間の寿命は120年ぐらいまでといわれているので、文字盤一周を当てはめてみると私の年齢はまだこの辺だと赤く印をつけました。私が一周するほど生きていられるとは思いませんが、まだ先は長いぞとの認識はできました。
posted by 代表 at 11:17| 時計の話

2021年05月29日

5(ファイブ)が欲しかった頃

ファイブ展.jpg
国内市場に於いて商品の終焉に係わっていたので、「ファイブ」についての展示をためらっていたのですが、やはり「世界のセイコー」というまでになった功労者である「ファイブ」について振り返ることにしました。今までの展示に比べると、携わっていた人達も諏訪地方には多く居られるので、資料の精度も上げたいということもあります。今でも腕時計は塩尻で高級品中心に製造されていますが、地域の基礎産業としての時計作りを感じることはなくなってしまいました。「時計を作っていたんですか?」と言われるだけで終わらないようにしなければと思っています。
posted by 代表 at 17:07| 日常

2021年05月19日

知新は難しい

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30年ほど前に古いラジオを参考に作成した時計のダイヤルデザイン。その元はそこから50年以上前の戦前資料でした。ウェブのオークションサイトにモデルが載っていたのですが、本当に安い値付けなのに誰も買ってくれそうもないので入札してしまいました。30年間どこを流浪していたのかわかりませんが、そんなに傷んでいないのもむしろ寂しい気にさせてくれます。まだ問題なく動くので傍に置いておきます。アラビア数字もローマ数字も昭和初期の頃のバリエーションには驚かされます。温故知新となれば良かったのですが、ほとんどそのままなので黙っていますが知新はとても難しいのです。
posted by 代表 at 19:07| 時計の話